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zoom RSS 多様な価値観を認めることの難しさ

<<   作成日時 : 2007/11/07 10:02   >>

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多様な価値観を認めることの難しさ

我々日本人には、「腹を割って話せば必ず理解し合える」というメンタリティがあるように思えます。
アイヌや沖縄など、厳密には日本人も単一民族ではないのですが、基本的な部分の考え方はそう違ってはいないため、ほぼ「同じ日本人」ということで「同じ価値観を有している」、と言ってしまえるようです。
ところが、これが海外でも通用するかというと、疑問と言わざるを得ないようです。

「相手の価値観も認め尊重しよう」「多様な価値観があって良い」とはよく言われることですが、これを言葉通り実践することはなかなか難しいようで、現在、世界各地で起こっている民族紛争やテロなども、この価値観の違いと無関係ではありません。

何故違う価値観を認めることが難しいのか?
それは、相手の価値観を認めることによって自分の価値観が否定されたり、もっと言えば自分たちの存在すら危うくなる可能性がある場合がある、と言うことだと思います。早い話、人喰い人種の価値観を認めれば、自分が食べられてしまいます。

冗談はさておき、例えば我々は身分や生まれ、職業などによる差別は良くない、と言う価値観を持っております。しかし、世界には「身分・職業等により差別や区別があるのは当然」という価値観を持つ人々もいるのです。インドのカースト制などがこれに当たります。

現実の社会で実践できているか否かは別として、男女同権は当たり前という価値観を我々は持っておりますが、アフガンの前タリバンのように「男女同権なんてとんでもない」、「女は男に従っていれば良いのだ」という価値観を持つ人々もいるのです。

あるいはイスラムの人々にとって、キリスト教をバックボーンにした近代化は地獄への超特急以外の何物でもありません。

この壁を乗り越える方法はなかなか見つかりそうにないように思えます。
「男女の差別はあって当然」と考える人々に、「いやそれは違う、男女は平等だよ」と言ってゆくのは、突き詰めれば、こちらの価値観の押し付けになりかねないからです。

アメリカが標榜する「自由」や「民主主義」がイラクをはじめとする中東諸国や南米諸国から反発を受けているのも、案外こんなところに原因があるのかも知れません。

我々日本人は戦後、アメリカが施行してきた(あるいは押し付けてきた)民主主義をすんなり受け入れました。しかし、これは民主主義や、自由と言った価値観を受け入れる土壌が、元々日本あるいは日本人の中に有ったからだとも言えそうです。

しかし世界には、「王様が支配するのは当たり前」という価値観をもつ人々や、「民主主義などは要らない、長老が決めてくれ」なんていう価値観を持つ人々もおり、そしてココが肝心な所ですが「その価値観は間違っている」とは誰も言えないところにこの問題の難しさがあるように思います。


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コメント(3件)

内 容 ニックネーム/日時
価値観は本当に難しいですね。民主主義も万能ではないし、かといって、独裁はもっと問題がある。でも、王政もあり、日本は象徴天皇がいて落ち着くこともある。なにしろ今の段階では、相手の話は聞いて、親切にすること、でしょうか。
秋桜
2007/11/11 11:42
秋桜様。コメント有難うございます。
何とか妥協点が見出せる程度なら良いのですが、どちらかがもう一方を否定するような価値観の差異も珍しくないところが難しいですね。
仰るように、相手の話をまずは聞いて理解しようと努めること、自分達の価値観の押し付けになっていないか謙虚に考えること、ぐらいでしょうか。
Rover
2007/11/12 09:56
「民主主義」にしろ、それに関連する価値観の多様性にしろ、支配の手段、それも専制よりもはるかに美しい手段だという面があると思います。
民主主義は国民に与える痛みを理解させる手段なのですね。
tesa
2007/11/15 19:53

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